ルーズヴェルトと蔣介石の関係を悪化させた“大統領名義”の不適切公電

アメリカ政府に蔓延していた敵対勢力の工作員。彼らはアメリカの対中政策を祖国の利とするため、ルーズヴェルト大統領名義で送られる中国宛の公電にも、自らの党派の主張を盛り込んでいた。なぜ、不適切な表現は修正されることなく蒋介石のもとに届いていたのだろうか? インテリジェンスヒストリー(情報史学)に詳しい山内智恵子氏が、ユ教授の「日中戦争」論をもとに解説。

■強硬な言葉遣いだったルーズヴェルトの「中国宛公電」

日中戦争と第二次世界大戦中のアメリカ連邦政府は、対中政策に関与する政府機関のなかに敵対勢力の工作員が入り込んでおり、また、意識的な工作員ではないまでも、ジョゼフ・スティルウェルやジョン・パトン・デイヴィスのように、中国共産党に協力的で蔣介石の国民政府に敵対的な軍や省庁の幹部がいました。

アメリカ政府は、こうした工作員やソ連・中共協力者たちの行動を統制することができませんでした。ソ連や中共の積極工作に対抗できる防諜体制が弱かったことは明らかです。

マイルズ・マオチュン・ユ教授の本から読み取れる、防諜体制の弱さと関係のある問題点の1つは、指揮系統の不全や混乱です。

ルーズヴェルトの中国宛の公電には、軍や政府の幹部の誰かが、なんらかの党派的立場で書いた不適切な文章や、強硬な言葉遣いに満ちた文章が含まれていました。

ところが、ルーズヴェルトはよほどのことがない限り、つまり、そのまま送ると外交問題になるとか、戦略的に誤っているといった大きなトラブルにつながることが明らかでない限り、修正せずそのまま署名していました。「要するに、中国問題にそこまで注意を払っていなかったのだ」とユ教授は指摘しています。

ユ教授は、そうした公電の実例として、ジョージ・マーシャル参謀総長とデイヴィスが作成した電文を挙げています。

▲フランクリン・ルーズベルト 出典:ウィキメディア・コモンズ(パブリック・ドメイン)

1944年春に、日本が一号作戦(大陸打通作戦)を行って中国東部の連合軍基地の無力化を図ろうとしていた際、ビルマルート奪還のためにビルマ作戦を行いたいスティルウェルと、ビルマ作戦のために大軍を割けば中国戦域が崩壊しかねないと憂慮する蔣介石が対立しました。

このときにマーシャル参謀長は、ルーズヴェルトから蔣介石に送るための公電の文案を作りました。

文案は、「これまでにアメリカの軍事物資で国民党軍の部隊を装備し、訓練してきたのに、今の衰えた日本の師団に対して前進できないとは何事だ」と、このうえなく厳しく横柄な叱責調の表現でしたが、そのまま公電として重慶に送られ、中国側に衝撃を与えました。ルーズヴェルト大統領は蔣介石に不満がある、というメッセージだと受け取ったからです。

この電文に限らず、強く厳しい調子の蔣介石宛大統領覚書は、すべてマーシャルが起草したものでした。

▲ジョージ・C・マーシャル 出典:Marshall Foundation Archives(ウィキメディア・コモンズ)

ジョゼフ・スティルウェルが何度迫っても、蔣介石がビルマに部隊を送ろうとしなかったことから、中国軍の指揮権を巡るスティルウェルと蔣介石の対立が激化します。

同年7月、スティルウェル司令部のデイヴィスは、蔣介石の中国軍全体に対する指揮権を、ただちにスティルウェルに引き渡すべしという提案を、陸軍省と統合参謀本部を通じてルーズヴェルトに届けました。陸軍がこの提案に基づいて公電文案を準備し、ルーズヴェルトはそれに署名して蔣介石に送りました。

それに対して蔣介石が為す術もなく、「指揮権を渡すことには同意するが、指揮権譲渡を漸進的に行うようにしてもらえないだろうか。また、誰かスティルウェルと自分との関係を調整してくれる、広い政治的視野と能力を持つ人物を大統領特使として送ってくれないか」と懇願するような返信を送ると、ルーズヴェルトは深く心を打たれます。

しかしマーシャルは同年8月、そうしたルーズヴェルトの心情に一切忖度することなく、直ちにスティルウェルに中国軍全体の完全な指揮権を渡すよう、蔣介石に要求する大統領名義の覚書を作成しました。ルーズヴェルトは若干ためらいつつも、結局は数日後にその電文に署名してしまいます。

■蒋介石の“豹変”に驚くワシントンの高官たち

その後、蔣介石は、義弟の宋子文から、ここ数ヶ月間に発信された厳しい口調のルーズヴェルトの公電を作成しているのは、ほぼ間違いなく陸軍省であり、必ずしもルーズヴェルトが実際に考えていることを反映していないと知らされます。

しかも1944年9月、カナダのケベックで開催された連合国首脳会談(ケベック会談)に出席中のルーズヴェルトから、蔣介石と中国軍の戦争努力を称賛し、感謝する内容の大変温かく親しみに満ちた公電が届きました。

そこで蔣介石は、確かに宋子文の言うとおり、ここ最近のルーズヴェルトの厳しい電文は、ルーズヴェルトの真意ではないかもしれないと考えました。

蔣介石は決然とした態度を取ることを決意し、中国軍の指揮権をスティルウェルに渡すことを断固として拒絶する、そう伝える公電を送りました。ワシントンの高官たちは蔣介石の豹変に驚きましたが、ルーズヴェルトは蔣介石の要請に応えてスティルウェルを解任し、アメリカに呼び戻したのでした。

▲ジョーゼフ・スティルウェル 出典:ウィキメディア・コモンズ(パブリックドメイン)

横柄で強硬な内容の蔣介石宛の電文に、ルーズヴェルトがそのまま署名してしまいがちだった理由を、ユ教授は「中国問題に関心を払っていなかった」と述べていますが、健康状態が悪化していたことが原因だった可能性もあります。

『ルーズベルトの死の秘密』(スティーヴン・ロマゾウ&エリック・フェットマン:著、渡辺惣樹:訳)によれば、1944年3月には、目がどんよりして、会話の途中でいきなり口を半開きにしたまま放心するような状態で、その後も悪化し続けていました。中国戦域指揮権を巡る公電の往復は7月から9月にかけてのことですから、3月よりさらに健康状態が悪かったはずです。

関心の欠如か、健康問題か、原因がどちらだったとしても、部下が作成した文案をろくにチェックせずに署名していたことに変わりはありません。

もちろん、大統領が自分名義の公電の文案を、すべて自分で作ることは不可能ですから、部下に草案作成を命じるのは当然ですが、党派的利害のために部下が好きなように作成した文案が、そのまま大統領の公電になってしまうというのは恐ろしいことです。ましてや、部下の中に、敵対勢力の利益を図る工作員が紛れ込んでいたら、外交を乗っ取られてしまうことになるのですから。

▲蒋介石 出典:ウィキメディア・コモンズ(パブリック・ドメイン)

※本記事は、山内智恵子:著、江崎道朗:監修『インテリジェンスで読む日中戦争 -The Second Sino-Japanese War from the Perspective of Intelligence-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

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