9回も失敗…ロシアがドネツ川渡河作戦を繰り返した理由

任務が解かれない限り攻め続けなければならなかったロシアの機動部隊。ドネツ川渡河作戦は、第二次世界大戦におけるアメリカ軍の沖縄攻防戦と同じ消耗戦だったのか。軍事のプロフェッショナル・小川清史元陸将が、渡河作戦におけるロシアとウクライナの攻防戦略を図解入りで解説します。

※本記事は、インターネット番組「チャンネルくらら」での鼎談を書籍化した『陸・海・空 究極のブリーフィング-宇露戦争、台湾、ウサデン、防衛費、安全保障の行方-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

■マリウポリ陥落の裏側

桜林 「陸」について小川さんに伺います。ついにマリウポリが陥落したという報道があったのは2022年5月17日のことでした。小川さんは、この状況をどういうふうにご覧になっていたでしょうか。

▲包囲され破壊されたマリウポリの通り 写真:Mvs.gov.ua / Wikimedia Commons

小川(陸) 5月16日にウクライナ国防省が、アゾフスタリ製鉄所に残っていたウクライナ兵の避難が完了したと発表しました。アゾフ大隊(義勇兵から発展した、マリウポリを拠点とする準軍事組織。ロシア側は「ロシア系住民を抑圧するネオナチの極右部隊」と主張)も撤退したわけですね。

こうしたウクライナ側の一連の行動は、ウクライナの最高司令部からの指示にもとづいて行われた、と発表されています。またロシア側からも、同日にアゾフ大隊から投降者が出てきた、という発表があり、そのあたりがおそらくマリウポリ陥落の時期だったのだと思います。

マリウポリ陥落の直前である5月13日、イギリス国防省が「ロシア軍が東部ルハンスク州のドネツ川渡河作戦に失敗した」という分析を発表しています。つまり、アゾフ大隊の投降及びマリウポリ陥落というのは、ウクライナがロシアのドネツ川渡河作戦を失敗させたあとの話だったわけです。

当初は152mmの榴弾砲しかなかったところへ、ウクライナ軍は、155mm榴弾砲M777とその砲弾、射程距離40kmほどの誘導弾をすでに手に入れていたようでした。しかも、きちんとドローンを使って写真を撮り、目標情報を取り、その情報にもとづいて砲兵が火力誘導できる状態に練度も上がってきていた。慣熟訓練も終わっていたのだろうと思います。

その結果、ウクライナ軍はロシア軍の渡河していた戦車などを見事に撃破しました。

▲ドネツ川 写真:Wikimedia Commons

マリウポリにウクライナ兵がいる、ということは何を意味するか。視界から隠れているドネツ丘陵の向こう側のロシア軍の配備を見たり、補給用の車両が動くのを見たり、あるいはパルチザンとして補給用の車両、もしくは移動する兵士の輸送用の車両を伏撃するなど、いろいろな活動を行うということが可能な価値ある緊要な地形だったのだと思います。

しかし、今はもうマリウポリ一帯の保持がなくても、遠隔操作による敵戦車撃破が可能となり、作戦遂行が可能な状態になった。つまり、渡河するロシア軍戦車などを撃破する能力を保有したことは、以前に比べて「マリウポリ絶対死守」のニーズがかなり減った、ということです。そこで投降するように許可を出したのではないか、と私は思いました。人的にマリウポリにいなくてもいいのではないか、ということです。

■ドネツ川渡河作戦で一個大隊を失ったロシア軍

桜林 以前とは状況が変わってきたということですね。ところで、ドネツ川渡河作戦の失敗では、ロシアは少なくとも一個大隊戦術群に相当する戦力を失ったと報道されていました。渡河作戦というのは、それほど難しいものなのでしょうか?

▲注:FEBA(Forward Edge of Battle Area:主戦闘地域の前縁)

小川(陸) 敵の陣地に攻め込むときには、常に人工的な障害物が構築されています。地雷原があったり、対戦車壕があったり、鉄条網があったりする。障害を処理して乗り越えるためには時間や労力がかかります。援護射撃も必要です。障害を取り払ってからも、ちゃんと通過できるかどうかの確認も必要です。渡河作戦というのは、その障害物が自然障害の河であるという状態です。

ネットで写真を拡大して調べてみたところ、ドネツ川は50mから100mぐらいの川幅だろうと思われます。そこに「ポントン橋(pontoon)」と呼ばれる浮橋をかけるわけです。その上を戦車が通れるぐらいの橋をかける。それには1時間、2時間単位での作業が必要になると思います。

戦車はおそらく、一度に1台か2台しか通れない。橋の上ではおそらく時速10kmから20kmぐらいの速度で走行しなければなりませんから、時速10kmで50mの橋を渡ると仮定した場合、橋を渡りきるのに18秒かかります。一個中隊10両ぐらいだと考えると全部で180秒、3分ぐらいかかります。その間、渡河する戦車部隊は一列縦隊となり、きわめて弱い状態になっているわけです。

一般公開されているドローン映像などで確認できますが、ウクライナがM777で発射したとみられる砲弾が、一発目からターゲットの3mぐらい近くに着弾しています。ということは、使っているのはおそらく、目標まで弾道を誘導するGPS誘導弾です。その後、戦車にちゃんと当たっている。

しかも、半分ぐらい渡った戦車が壊れていて、まだ向こう岸に戦車が残っている状態でした。つまり、その3分という時間の中間点1分30秒ぐらいのときに射撃開始をして、渡河する戦車を撃破しているんですね。

ウクライナ側は、ロシア側が橋をかけるときには、おそらくすで情報をつかんでいたんだろうと思いますけれども、橋を渡り始めたロシア軍戦車に対して正確な射撃を1分、2分のあいだに行って、10両ぐらいの戦車に対して、その弱点である車両上面を狙って、つまりトップアタックでやっつけているわけです。そもそも渡河作戦は難しいのですが、それ以上にウクライナ側がきちんと情報を取って準備をしていました。

すなわち、火力、情報、誘導という手段を手に入れていたわけで、それでロシアの渡河作戦は失敗したのです。

■機動戦がうまくいかずに消耗戦に

桜林 ウクライナ軍は、ロシア軍の渡河作戦を9回阻止したと言っています。ロシア側はどうして同じ失敗を繰り返したんですか?

▲沖縄作戦経過要図(1945.4.1 ~ 6.20) 出典:『日本の戦争・図解とデータ』(桑田悦、前原透 共編著、原書房、1982年10月24日)p62をもとに作成

小川(陸) 上図は1945年の沖縄戦の作戦図をもとに作成した図です。丸で囲んだ部分が沖縄戦攻防の焦点なんですけれども、その真ん中付近に嘉数(かかず)高地という高地があります。ここは今でもある程度、崖のまま残っています。

桜林 普天間の基地の近くですね。

小川(陸) アメリカ兵がどうして大変なところをわざわざ登っていったのか、不思議に思いませんか。迂回すればいいじゃないか、と思うでしょう?

桜林 思います。どう考えても突破は難しいのに。

小川(陸) バウンダリー(boundary)という境界線によって任務地域を割り当てられると、各部隊は任務地域を通らなければいけないんです。嘉数高地を任務地域として与えられた部隊は、そこを攻撃前進しなければならなかったんです。それが消耗戦〔敵軍の物質的な戦力を弱めて、戦闘継続を不可能にするための戦い〕の戦い方なんですね。

上級司令部から攻撃しろと言われたら、任務地域内に存在する敵を残すことなく一個一個潰していかなければならない。その代わり、掃討作戦は不要となります。確実に敵をやっつけて、敵を残さない状態にしていくので、自分たちの支配地域として、そのまま使える状態になるわけです。

一方、機動戦〔敵軍の指揮・統制能力・士気などを弱めて、戦闘継続の意思を失わせるための戦い〕というのは、敵の重心である目標を一気に攻撃して作戦目的を達成する戦い方です。2月から3月のロシア軍によるキーウ攻撃が機動戦でしたが、ウクライナ軍の巧みな防御によってロシア軍の空挺部隊、地上部隊の犠牲が多くなり、結局、この正面も消耗戦のような様相を呈してしまったと思います。

機動戦は目標ラインを設定しバウンダリーを引き「このなかを目標ラインまで攻撃していけよ」という攻撃なんです。それは、ドネツ川渡河作戦でも行われている作戦で、渡河作戦が成功してウクライナ陣地奥深く突進できれば、ロシア軍による機動戦が成功するはずだったと思います。しかしながら、ロシア軍は機動戦がまったくできないまま消耗戦に陥りました。

▲ビロホリウカ近郊で破壊されたロシアの浮橋と車両 写真:armyinform.com.ua / Wikimedia Commons

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